●ソロになったMORRIEのアルバム

【影の饗宴】
1995年1月発売
BMGジャパン 
NY在住者となったMORRIEが、
YMOなども手がけたエンジニアのGO HOTODAとの
共同プロデュースで
作り上げたアルバム。
基本は自宅レコーディング。

曲目:遠人愛 一瞬だったら 犬、あの人に会う、猿の夢、沈黙の秘密、氷と太陽、影、壊す人、彼岸の奴隷

【影の饗宴】1995年1月発売 

「ロマンティックな・・・」から約3年の年月を経て出たアルバム。

このアルバムは、ほぼ完璧な静だと思います。ただ、何かが浸透してくるという点では、やはりMORRIE のアルバム。と言わざるを得ないでしょう。

「ロマンティックな・・・」が人間の感情の吐露であるなら、このアルバムは人間の追究であると言えるかもしれません。全10曲で、一つの曲だと私は思うのですが・・・。
相変わらずMORRIEワールド炸裂で「きれいできたないのは」「猿の夢ばかり」「怒りもせず 泣きもせず 笑いもしない 感じすぎる魂」etc・・・エトセトラというより全部すぎて書けないと言う方が正しいですが、歌詞だけでも一見の価値あり。

この方の声はやはりひとつの楽器ですね。

余談ですがジャケットというか、CDが収まっているところの下の模様が脳内の神経細胞の繋がりのように見えるのは私だけでしょうか?

注)これはあくまでも、私が理解した内容であってMORRIE自身の考え、思わくとは別のものであります。 

【ロマンティックな、余りにロマンティックな】
1992年4月発売
BMGジャパン 
ソロ2枚目、日本で制作。
共同プロデュースとギターは、あの四人囃子の森園勝敏。
その他にも、多くの実力派のミュージシャン、スタッフが
参加しています。
また、MORRIE自身による打ち込みが多用されているのも特徴。

曲目:歓喜へ イカロス あとは野となれ山となれ 破壊しよう! 完璧な空 ファルスよ永遠に 広すぎる風景 眩暈を愛して夢を見よ 夢ウツツ ・・・・なければ君のくれたものはわからない ロマンティスト狂い咲き 心地よい雨

【ロマンティックな、余りにロマンティックな】
1992年4月発売(現在、製造中止されています。凄く良いのに・・・中古市場で探して下さい)

再発希望の方はここに書き込んじゃいましょう。
→BMG JAPAN 名盤復刻倶楽部

ソロ2ndアルバム。ニーチェの「人間的な、余りに人間的な」すら読んでいない私がコメントを書くのは少々気が引けるものがあるが・・・、タイトルと曲調からしてロマンティックな第一印象を持ってしまうが、その雰囲気を持つ「あとは野となれ花となれ」「完璧な空」「広すぎる風景」という曲は、「観念的遊びに長けた抽象画のダリ的世界」を表現し、この3曲は否定される為に作られた曲たちだと言う。
「頭の中で考えることは所詮リアリティがないロマンティックな事柄で、如何に今までの観念的見方、相対主義を克服するか」という視点に立って作られたらしいが、まずこの観念を疑ってみて物事の根本を見つめようとする研ぎ澄まされた視線は、私にとって眼から鱗だった。そして、多少の知識を得て物を知ったかのように勘違いしてしまっている自分を恥じた。「物を知る程、自分は何も知らないことを知る」ということに、知らず知らず日々鈍感になってしまっていたように思う。
壊される為に作られた曲たちではあるが、そう思って聴いてみても、その世界は余りに美しく、その美しさと破壊のコントラストが鮮やかである。一リスナーとして聴く立場上、音的に気持ち良いと感じるものに、MORRIEの意とは反して惹かれてしまうことを許して欲しい。
しかし、この奥深い世界の謎を解けていない部分がほとんどだろうと思うし、彼を100%に近いところで理解しようとするのは、それこそ思い上がりというものだろう。ましてや彼のこと、これを作った時点と同じでいるとは到底思えない。 
裕子

個人的にMORRIEを語る上で外せないアルバム。
DEAD ENDのころの曲を肉体的破壊。とするなら、このアルバムは精神的破壊と言えると思います。
DEAD ENDの特に初期はメタル故の暴力とか、破壊とかというイメージが表にでますが、それは逆に形式的なもので、これらを聴くと私はむしろ落ち着きさえしますし。しかし、このアルバムは静のように見えて実は毒がじわじわと浸透するように、自分の中の狂気、凶暴性などを暴き立てる、見えざる破壊であると思います。
マイナスの部分を暴くというよりは、自分の核をさらけ出す。といったほうが正しいと思いますが、とにかく64分24秒の間に喜怒哀楽をすべて揺さぶられる。そして何が残るか。
私の場合は狂気や、凶暴性でしたがそれが私の核であるというだけで、聴く人によってそれは様々であるはずです。
まだの人は、ぜひ体験していただきたいと思います。
注)これはあくまでも、私が理解した内容であってMORRIE自身の考え、思わくとは別のものであります。  

【ignorance】
1991年1月発売 1995年7月再発 BMGジャパン 
曲作りとレコーディングのためにNYへ渡って制作。 
プロデューサーはザ・ザなどを手がけたロリ・モシマン。
ウィル・リーなどの豪華ゲストも話題。
ソロになってから、MORRIEは自分でギターも弾いています。

曲目:COSMOS(カオス)の中に パラドックス 砂上の風景 忘却白書 眺めのいいあなた SEX切断 黄色が吹き出す ここではないどこか 異人(ストレンジャー)

SEX切断の発想の元となったという草間彌生について知りたい人は
こちら

【ignorance】

1991年1月発売 1995年7月再発 (現在、すでに在庫は少ない模様です)

再発希望の方はここに書き込んじゃいましょう。
→BMG JAPAN 名盤復刻倶楽部

ソロになったMORRIEが作った3枚のアルバムの内、後の2枚は、トータルコンセプトに貫かれており、作品にはっきりと対峙しなければ聴けない、ある意味で「恐いアルバム」であるのに対し、この『igunorance』は、ソロになったばかりのMORRIEが、いろいろ詰め込んでしまった観のある、ある意味で「ラブリーなアルバム」だと言えると思います。
そうは言ってもやはりMORRIE様、DEAD END 解散時に、ソロになったMORRIEが、こんな音楽性が幅広く、内容も濃いアルバムを作ると、誰が予想したでしょうか?

実は、私個人は本来、「露骨に知性を感じさせるミュージシャン」は好きではないのです。何というか、例えばアリス・クーパーがゲテ物のように見えても、実はインテリであるように、「ちょっとすまなそうに、しかし実は確乎たる知性が潜んでいるミュージシャン」が好きなのです。
でも、MORRIEの場合は、けっこう目立って知的なのですが、それが許せてしまうのは、彼に「懸命で切実な何か」があるからのように思います。「愛ですべて串刺し、それは無知を覆い隠す」と歌っても、『ここではないどこか』『黄色が噴き出す』など、社会的な内容の歌でも、MORRIEの心の切実さが、普遍的な説得力になっているのでは。
ボイス・トレーニングの成果の現れたMORRIEの歌声は、圧巻ですし、それで、TRYしちゃっている色々な唱方は、時に美しく、時に気恥ずかしかったりします。フェロモンが出てるし・・・
麻里

このページの写真は、BMGジャパン様に掲載許可をいただいています